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テーマ「恐怖の定理」
『人魚』著:黒岩隼人

 まだ日の出ていない時間から、法定速度を超えた速度で走る白の八人乗りのボックスカー。その中には浅黒い肌の男が三人乗車していた。
 男たちはウェットスーツを身にまとっており、後部座席とカーゴスペースにはタイダイ柄やトロピカル模様のサーフボードが積まれている。サーフィンの為に海に向かっているのは明らかであった。
「あと、何分ぐらい?」
 運転手を務めている前田が到着までの時間を尋ねた。助手席に座る森が、カーナビの代わりに置いてあるスマートフォンを覗いて、
「あと二十分やなぁ」とだけ答えた。
 森と、運転席の後ろの席に座っている佐々木は何度か行ったことのあるスポットだったが、前田にとっては初めて行く場所だったので、土地勘が無かった。
「次の交差点左行ったらすぐ着くよ」
 そう言った佐々木の言葉通り、信号を左折した後は海沿いの道路をまっすぐ走るだけで、予定の二十分もかからず十分ほどで遊泳スポットに着いた。法定速度を超過してやってきたのも理由の一つではあったが。
 男たちは路肩に車をとめて、すぐに海に入った。
 いい波が立っていて、サーフィンをするにはちょうどよかった。
 森と佐々木は経験者だったので、何度も波に乗り満喫していた。しかし、始めたての前田は上手く立つことが出来ず、ボードから落とされてしまう。
「初めたては、なかなか上手くいかないもんだよ」
「前に来た時より上手く波の流れに沿えてるから、あとは立つタイミングだけだべ」
 佐々木と森が前田を慰める。
 それを聞いて前田が、
「もうちょっとでコツ掴めそうなんやけどなぁ」と、つぶやく。
 また、前田が沖の方に行き波を待っていると、今日一番の大波が寄せてきた。ボードに腹ばいになって乗ったまま、波に乗ろうとする。しかし、ボードから振り落とされてしまい波に飲まれてしまった。ボードだけが、海面に取り残される。
 少し待っても前田が海面にあがってこないので、佐々木と森は顔を見合わせる。
「溺れたかもしれん」
 そう、森が言い終わる前に佐々木は海に飛び込んでいた。
 前田は泳ぎが得意な人間だったが、溺れているのかもしれないと佐々木は考えた。人間はパニックになると、足が着く高さでも溺れて亡くなってしまうことがあることをライフガードとして働く佐々木は理解していた。
 一方、前田はパニックになっていた。しかし、それは波に飲まれてしまったからではない。何かが足を掴んで海底に引っ張っているからだ。
 前田は足を掴んでいるものを振りほどこうと足をばたつかせたり、手で払おうとするが水中では思うように動かせず、振りほどけない。
 佐々木は思いの外、前田が浅いところで溺れているのを見つけた。何か暴れているようだが、ゴーグルを着けていなかったため水中は上手く見えず、黒い何かが纏わりついているのだけが分かった。前田が溺れているところは足がつく高さだったので、佐々木は前田の背中側から両わきに腕を通して引っ張り上げてやった。
「大丈夫か⁉」
 佐々木が前田に声をかけると、咳をしながら、
「大丈夫、ありがとう」と、返事をした。
 二人は砂浜に戻って、佐々木が森に説明をする。
「こいつ、海藻が絡まって慌ててみたいでさ。水なんて、腰ぐらいの高さなのに溺れかけてたよ」
 それを聞いて佐々木は笑う。
「いやでも、大事にならなくてよかったわ」
「笑わないでくれよ。俺は本当に死ぬかと思ったんだから」
 前田は顔を赤くして恥じらう。
 佐々木は、白み始めた空を眺めて、
「一旦休憩しようか」と言った。
「そうだな。今ので疲れたし少し、足も痛むし」
 そう言った前田の足を佐々木と森が見ると、手の形の赤い痣が複数、残っているのであった。

(了)