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テーマ「高校生の主人公が異性のキャラクターに出会う」
『どうせ死ぬならその前に。』著:翡翠月

 手塩にかけて育てた丸サボテンに、花が咲いた。
 最後にいいものを見られた。ソファーの前の小さなテーブルの上で、白い花を重たそうに掲げるサボテンを尻目に、巳波(みわ)は思う。
 今日は絶好の自殺日和だ。
 空っぽのスクールバックがソファーの上に投げ出され、中に入っていたはずの新しい教科書たちは、ゴミ箱に丸めて詰められていた。
 カーテンをめくると、ベランダの窓に、死んだ魚のような目をした巳波が映った。窓を開けると、吸いこまれるように、裸足のまま手すりへと寄る。
 ぼんやりと青い空を眺めながら、よいしょ、と足を手すりにかけた。
「飛び降りるんですか?」
 男の柔らかい声がした。リビングからである。
「お疲れのようですね」
 窓が開いているとはいえ、部屋の中と外。人の声なんてろくに届かないはずなのに、その声は、はっきり巳波の耳に届いた。
 振り返れば、なびく遮光カーテンの向こうにうっすらと人のシルエットが見える。
 家の中には、巳波しかいなかったはずなのに。
 ひらりとカーテンが翻り、リビングの中が見えた。
「どうせ死ぬならその前に」
 真っ白い長髪の青年がソファーに腰かけ、巳波が捨てた教科書を膝の上で揃えながら微笑んでいる。
「ちょっとお茶でも、どうですか?」
 巳波は、青年をぼうっと見やる。たしかに、と思った。
 少し時間を置いたところで、巳波の心持ちは変わらない。それなら、一息つくのもいいかもしれない。巳波は緩慢な動きでリビングに戻る。
 青年がゴミ箱から救出した教科書は、スクールバックの中に丁寧に戻されていた。
 どうぞ、と青年から渡されたマグカップには、あたたかいミルクティーがなみなみと注がれている。彼が淹れたのだろうか。
「それを飲んだら着替えてきなさい。そのまま飛び降りたら、死んでもその格好のままではないですか」
 青年が、自分のカップをことりと置く。
「たしかに」
 巳波は制服を見下ろした。
 自室で部屋着に着替えて戻ってくると、青年はテレビをつけて、録画リストを開き、録画されているドラマを物色していた。
 巳波はドラマを見ない。録画リストにあるドラマは、どれも母が好んで録っているものだ。
「これ、少し気になっていたんです」
 立ったままの巳波を見上げ、青年が自分の傍らをぽんぽんと叩いた。巳波はおとなしく隣に座る。青年がリモコンの再生ボタンを押した。
 この春始まったばかりのドラマが頭から再生される。
 見るのか、と思ったが、もう一時間ほど死ぬのが遅れただけだ。構わない。
 ドラマを見終わるころには日がすっかり傾いて、空は藍色に染まっていた。巳波の隣で、青年が満足げに笑っている。今のドラマがお気に召したらしい。
「二話が楽しみですねぇ」
 巳波は、ドラマの感想をあれこれと語る青年をぼうっと眺める。
 なんだか視界がクリアだった。途中から、死のうとしていたことも忘れていた。固まっていたはずの表情筋がほぐれている。自分が笑みを浮かべているのがわかる。
 こんなのんびりした時間も、悪くないと思った。
「……やっぱり、死ぬのやめようかな」
 ぽつりと呟くと、青年が目を丸くして、巳波を見た。
「本当に?」
 巳波は頷く。とたんに、青年がぱっと顔を輝かせた。花が咲くような笑顔だった。
「そう、よかった。本当に。私の世話係がいなくなるのは、困りますからね」
「世話係?」
 なにそれ、と問うた巳波に、答える声はなかった。
 青年が消えてしまったのである。瞬きをする、ほんの一瞬で。
「……なに、いまの」
 リビングをぐるりと見渡しても、青年の姿はどこにもない。
 あとには唖然とする巳波と、テーブルの上の、空になったふたつのマグカップ。それから、変わらず白い花を掲げて鎮座する、丸サボテンだけが残されていた。

(了)