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「おい瀬川! 授業中に外なんて見てる生徒がいるか!」
 少し雲がかかった空を見ていると、教師の怒声が聞こえてきた。
 今日で何度目の説教だろう。
 一時間目に二回、二時間目に一回、三時間目は……何回だったか忘れた。
 とにかく今日は、普段は怒鳴らない教師が怒声あげる日らしい。
「廊下に立つかこの問題を解くか選べ」
 そう言われ黒板を見る。
 この時間は数学だったか。
「廊下に出ます、すいません」
 分からない問題を考えるよりも、素直に廊下に出て立っていたほうが良さそうだ。
 五月の廊下は教室より涼しく、窓から入る風も心地良かった。
「はぁ」
 風を受けながら小さな溜息を吐く。
 小学生の頃は授業中に何度か楽譜を読み怒られることはあったが、高校生にもなって廊下に立たされるとは思わなかった。
 静かな校内なのに、俺の頭の中ではピアノの演奏が聴こえている。
 俺なんかじゃ及ばない、最も憧れた演奏だ。
 そして……、いや、もうなんとも思ってないんだ、俺は。

 

 昼休みになり教室に入ると、周りの生徒から一暼された。
 あまり気にしないように席に着き、授業中と同様窓の外っていると、雲の流れを目で追っていると視界に手が現れた
「やっほ、廊下に立たされたんだって?」
 気づけば瞳が俺の席の前に座っていた。朽木といい、どうして無断で座れるのかな。
「噂になってるよ? この学校にはそんな生徒いないから」
「そうだな」
 俺が素っ気なく返すと、瞳は分かりやすい溜息を吐いた。
「何かあったんだ」
「朽木が神崎千鶴に憧れてるんだってさ」
「あ、そう、なんだ」
 それを聞いた瞳は目を逸らし、少し強張った表情になった。
 思った反応と違うものだから、聞いてみる。
「なんでそんな顔するんだよ」
「そういう巽は?」
 表情は変わらぬままの瞳は問いに答えず聞き返してくる。
「俺は別に、もうなんとも思ってないし」
「嘘よ、巽はあの人のこと」
「やめろよ」
 瞳の声を遮って低い声でそう言い、座っている瞳の手を掴み廊下に出た。
「あ、ちょっと」
 瞳の声を無視してそのまま階段を上る。 
 三階より上へ行き、四階の屋上扉の前で止まった。
「なんでこんなところに」
 落ち着かない様子の瞳の手を掴んだまま壁へと追い込んだ。
「やめろよ!」
 俺は怒鳴るように叫んでいた。
「なんとも思ってないって言っただろ! それをあんな、言おうとしなくていいだろ!」
 すると、瞳はふっ、と鼻を鳴らし俺の手を振り払った。
「何言ってるんだか、馬鹿じゃないの!」
 瞳も俺に負けない声で叫んでくる。
「名前聞いただけでうじうじ引きずって、廊下に立たされて、笑わせないでよね」
 瞳にこの話をしたことに後悔した。
 俺はただ、神崎先生の演奏だけを思い出していたいだけで、昨日も授業中も、あの人の演奏とその姿を思い浮かべて。
 それで、瞳に話して「懐かしいね」って、そんな会話をしようとしただけだった。
 でも瞳にはお見通しらしい。
 俺が先生の事を好きで、そして、それを今も引きずって、必死になかった事にしようとしていた。
 ピアノを再開したせい、いや、おかげか。
「なんとも思っていないならそんな顔しないでよ」
「俺、今どんな顔してる?」
「怖いくらいの真顔よ、隠すのが下手だからそんな不自然な顔になるのよ」
「そっか」
 やばい、疲れた。
 さっきまで焦って怒って、それで今、隠してたことを明かされて安堵している。そんな連鎖に肩が重くなったり軽くなったりで、結果体が重い。
「責任取れよ」
「私?」
 俺は大きく頷いた。
「俺は上手く普通を装っていたぞ、廊下に立たされたのだって授業がつまらなかったんだ」
「ふーん?」
「神崎先生は関係なかったんだ、だけど瞳が早とちりしたせいで」
 俺はわざとらしく溜息を吐き瞳を意地悪そうに見やった。
「何よそれ! 私が悪いって言うの??」
「これは今日の放課後、瞳の奢りで遊ぶかな」
 不満そうな顔をする瞳は俺の胸に指当てる。
「割り勘よ、いいわね」
 瞳に話してよかった。
 話してなかったらこのまま隠し続けようとして、いつまでも引きずっていたかもしれない。
 だけど、朽木から名前を聞くまで忘れていたんだな。そう思うと、少し悲しさもあった。