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 だが、すぐに帰ってくることはなく、空はだんだんと赤く染まっていく。
 壁に寄っ掛かり俯いて待っていると、足音が近づいてきた。気づき顔を上げると、父が姿を現し、「おう」とだけ言い俺の肩を叩いた。
「何してるんだ?」
 父が聞いてくるが、聞きたいのはこちらでその問いには答えず、
「目のこと、今年で最後の病気って、何?」
 と、大声を出してしまいそうなのを抑えながら冷静に、だけど言葉は思いつかず語呂だけを合わせて聞き返した。
「今年で最後?」
 顔をしかめて腕を組む父に、俺は苛立ちを感じた。
 先生が知っていて、俺も知っているんだ。専門医が知らないわけないだろ、早く答えてくれ。 
「そんな病気、俺は知らないな」
 そう言った父は、家の中に入っていった。その後を追って俺も中に入りリビングにいる父の前に立った。
「でも言ってたんだ! 今年で……」
 だが、俺はここで何かに引っ掛かり、西門先生との会話を思い出していた。

 今年で最後になるかもしれないし。
 だって朽木さんの目が……。

 病気なんて一言も言ってなかった。
 いや、病気とは言ってなかったけど、先生の話からは朽木の目が今年で見えなくなるって内容に聞こえた。
 俺の勘違いだったりしないよな、でも、その可能性は否めない。
「今年で最後って言ってたんだよ、何か分からない?」
「……それは朽木さんから聞いたのか?」
 突然朽木の名を出され俺は一瞬びくりとした。
「なんで知ってるんだよ」
 その問いには答えず、父は俺の横を通りソファに腰をかけ、
「座れ」
 と、隣の空いたスペースを何度か叩いた。俺は言う通りに父の横に座る。
「朽木さんはなんて言ったんだ?」
 結局、俺の質問に答えてはくれずそう聞かれたが、俺は素直に答えることにした。ここで俺がまた質問し返したらややこしくなりそうだし。
「実は朽木からじゃなくて、学校の先生から聞いたんだ」 
「はぁ? 本人から聞いてないのかよ……」
 父は少し乱暴な口調で言いながら眉をひそめ、肩を落としたあと、「まあ、そしたら俺に聞いてこないよな」と父は独り言のように呟く。
「それで、それは病気なのか?」
「本人から聞いてないなら、俺からは教えられないぞ」
「ふざけんな!」
 初めて父に怒鳴り声を上げた。自分勝手だって分かってるけど、抑えきれなかった。
「なんで教えてくれないんだよ!」
「守秘義務だ」
 怖いくらい低い声でそう言われ、俺は怒鳴ろうとしていた言葉が詰まる。
 父は、それに、と言葉を続けた。
「そのことを知ってどうする? 病名を知ったところでどうしようもないだろ」
 どうしようないのは分かってるけど、俺はここ一週間あいつの近くにいたのに、俺だけが何も知らなかった。それが悔しくて、仕方ないんだ。
 病気の内容は教えてもらえないため、違う質問をした。大事な質問だ。
「それは、治らないのかよ」
「今の医学では、難しいな」
 だが、と父は言葉を続け、
「あの子は来年も目が見えるようにと頑張っているよ」
 と、優しく微笑みながらそう言った。
 そうだったのか。目を瞑って練習しているのも、目が見えなくなってからも弾けるようにしたいからだったんだ。
 父に頭を撫でられ、俺は少しの間座ったまま俯いていた。
 朽木、ごめん。謝るから、俺に教えさせてくれ。最高の演奏なんてどうでもいい。頑張って弾けるようになってくれ。
 それだけでいいんだ、もう。