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 ……騒ぎは夜明け直前まで行われた。そろそろ金品をばら撒く準備をしなければならない時間である。
「おいお前ら! 今日はこの辺でおひらきだ。もうすぐ金をばら撒く時間だぜェ!」
 酒をどれだけ飲んでも呑まれないシュトラフは冷静に部下達に宴の終了を告げた。すると、酔っ払い顔を赤くしていた者でさえ、頭から冷水をかけられたかのように肩を震わせ我に帰り、フェイを含めた盗賊団の全員が整列した。
「マスター、悪いな。こんな遅くまで付き合ってもらって。ウェイトレスの娘にも申し訳ない」
 シュトラフが頬を掻くと、酒場の主は金貨を扇いで応えた。
「構わねぇって。こちとらどれだけサービスしても返せねぇくらいの金は貰ってるからな。それにこの前お前がくれたよく分からん箱のおかげでこっちは大繁盛だ」
 酒場の主が太い指でそれを指差した。その箱は黒々とした未知の金属で構成されていて、一部分に細かい円状の穴が沢山空いている。驚くべきことにそこから多種多様な楽器の音を響かせることができ、さらには周囲の状況に相応しい音楽を奏でているのだ。騒ぎや祝いのときには軽快でアップテンポな曲を、今こうして酒場を出ようとしているときには少しばかり悲しげで上品な曲が流れている。
 中に人はいない。断言はできないが魔術的なものでもないだろう。魔法も奇跡も存在しない。しかし構造不明。現在の技術を結集しても再現不可能。街の職人はもちろん、王家お抱えの技師だろうとこんな物は作れない。
 遠い未来や別世界の物、もしくは人間ではない何かが作り出した物であるとと考えざる終えない。シュトラフが酒場に寄越した物はまさしく人智を超えたカラクリだった。それらは不特定のタイミングで、何の予兆もなく忽然と現れるのだ。いつからかは分からないが、それらは【慧来具(けいらいぐ)】などと呼ばれるようになっていた。
 ふと未知の道具にを想いを馳せていると、酒場の主とウェイトレス、団員までもが不思議そうに彼の顔を覗いていた。
「……シュトラフさん? 瞬き一つせずに硬直しましたけど大丈夫ですか?」
 フェイが不安げに肩を揺らした。シュトラフは慌てて我に返ると、わざとらしく咳き込み、何事も無かったかのように笑顔で答えた。
「……ゴホンゴホン! 俺じゃあ雰囲気に合う音楽を流してくれる機械なんて金にするくらいしか使い道がないからな。でも売ったって貴族共の手に渡っちまう。だったらこんな酒場にでも置いたほうがマシだったってだけだ」
「アハハッ! こんな酒場だってさ。マスター」
 ウェイトレスの一人がからかうように笑ったので、シュトラフはすぐに訂正を入れた。
「あぁ。すまん。褒めたつもりだったんだ。だがどうにも言葉足らずだったな」
 すると酒場の主はニヤリと笑い手を伸ばした。
「いいや、ちゃんと伝わってる。まぁ、またなんかあったら叩き起こしてくれや。いつでもサービスしてやる」
「助かるぜ」
 シュトラフは差し出された手と握手を交わすと、威厳に満ちた声で団員に告げる。
「金はいつものように分担してばら撒く。職人街でばら撒くときは特に注意しろ。最近見回りの兵士が多い。気をつけてくれ。ばら撒き終えたら第三拠点で待機だ。その間に寝るなりなんなりしてろ。フェイ、お前はここに残れ」
「リーダーはどこでばら撒くんすか?」
 ふと、部下の一人がそんなことを聞いた。
「すまない。俺もばら撒きたいところだが、ちょいと次の標的を視察してくることにした」
 数年ほど前まではあまり見られなかったのだが、未知の道具……【慧来具】の情報は段々と上昇傾向にある。
 中には特定の人物の身を守ったり、闖入者(ちんにゅうしゃ)に対して攻撃してくる物がある。そういった物がある場合はあまりぞろぞろと部下を連れ込むことができない。少数精鋭で必要最低限を奪ってとんずらするほかない。
 次の標的である高利貸しのルートヴィヒが危険か否かを判断する必要があるのだ。
「了解っす。では行ってくるっす」
 団員達はそれぞれ頷くなり返事を返すなりすると、貴族から奪った金銀財宝を背負い、命令を果たすべく酒場を出て行った。
 ついさきほどまで騒々しかった酒場は一瞬にして静寂へと変わる。その場にいる盗賊がフェイと自身のみになると、シュトラフは憂い気に口を開いた。
「…………フェイ。道案内頼む。さっき地図を見させてもらったが正直まったく分からない。こんな情けない事実は信用できて、かつ格好付ける必要がない相手にしか言えないぜ」
「格好付ける必要がない相手ってそれ褒めてませんよね?」
「家族みたいなもんだからな。俺は世間的にちやほやされたいだけだから、身内同然のやつしかいないときに格好付ける意味はないってわけだ」
「ウェイトレスの人もいますけど、あと酒場の主も」
 言われてみればそうだった。
「アハハ……。こりゃ参ったな」
 少しばかりボロは出たが、慌ててはいけない。格好いい人間はいつだって慌てない。余裕の笑みを浮かべ、ときに声高らかに嘲笑する。それがシュトラフの考える理想像だ。だからニヤリと自嘲気味に笑みを浮かべながら、ウェイトレス達の顔を覗いた。彼女達は微笑ましい光景を見たかのような朗らかな笑みを浮かべていた。目が合うと一人が口を開いた。
「大丈夫ですよ。世間で言われてるほど特別な人間じゃないことは知っていますので。だからこそシュトラフさんは親しまれてるんですよ」
「そうなのか? 頑張って格好よくしていたつもりだったんだが……。話が逸れちまった。本題に戻ろう。まぁそういうわけで道案内頼まれてくれ」
「了解しました」
 そう言って二人は酒場を出た。重い扉を開けると、全身が縮むような冷たい風が吹き込み、吐息はすぐに白く染まった。ほのかに白んでゆく明け方の凍てついた空気の底、目的地であるルートヴィヒ邸を目指して石畳を踏み締めて行った。