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 ――――それから、実際に犯行を行なったのは一週間と三日後のことだった。警戒すべきことは第一に夜警の本部が近いということ。これに関しては、サインを送ったときに陽動を行なう班を作り、対処することにした。第二に警戒すべきことはルートヴィヒが使い方は分からないが【慧来具】を持っている可能性が高いということである。
 ……【慧来具】のなかには鉄をも砕く武器だとか、あらゆる物を凍らせることができる道具だとか物騒な物が多い傾向にある。それと噂に聞く全てが理解不能な動力で動いていることだろうか。しかしそのほとんどが壊れているか使い方が分からず、物好きな金持ち共の手に渡っていく。使える物も大体買い占められる。おそらく今回もその最たる例だろう。
 使用人や彼の屋敷を出入りした人達に何日間も聞き込みしたのだ。この情報に間違いは無い。……多分。
 襲撃するのは深夜。日付が変わった頃。街は夜の静寂と黒々とした深い闇に包まれた。人々のほとんどはもう寝ている頃だろう。起きているとすれば蝋燭を使ってでも何かをしなければならない人達や夜警に当てられた男達である。――そんななかシュトラフ達は周囲の建物の中でも突出した規模を誇る建造物の元に辿り着いた。
 道に沿って並ぶ家々はどれもこれも赤茶色のレンガ屋根に白い壁で外観と統一性があり、大きさにも大差はない。しかしシュトルフの眼前に存在しているのは他とは違う……まさに豪邸であった。壁や赤煉瓦の屋根には細かな装飾が施され、権力を誇示するかのごとく威圧的な大きさをしている。いくら掛かったのだろうか。貴族が住むために作った城ほどの大きさはないが、裕福な商人よりは良い家をしている。さらには太陽の明かりと温かさの恩恵を得るべく、貴重なガラス窓が何箇所か存在していた。まさに別荘と言ったところか。
 シュトラフは手に力を込めながら、まじまじと目の前の豪邸を鋭く睨んだ。
「着いて来い。突っ立ってたところで寒いだけだ。さっさと入ろう」
 夜の空気は凍て付いており、立っているだけで体力を奪う。冬の風は刃そのものだ。拭き荒むだけで服をも貫く冷気が襲い、身を刺すような寒さの苦痛であった。止めようにも歯が鳴ってしまう。
 フェイを含めた数名の団員達は皆、黙して頷くと、シュトラフは身を屈めルートヴィヒ邸一階の窓の傍に移動した。
「……少しだけ離れてくれ。万が一飛び散ったら大変だからな。念のためってやつだ」
 シュトラフは腰の掛けていたポーチから一つの物を取り出した。金属特有の冷たさが手から伝わってくる。それは片手で持てる程度の大きさをしており、白銀の金属で持ち手に引き金、弾を射出するための銃口が造られた銃の【慧来具】だった。
 撃鉄の見た目をしたレバーを下ろし、銃口を窓に向けると、放たれた弾がどこに被弾するかを示すかのように赤い光線が窓の一点に放たれた。
「あれ、赤色だから違うな……」
 そんなことを呟くと、レバーをもう何度か上げ下ろした。そのたびに光線の色は赤から蒼、緑へと変化していく。やがてその色が橙になったのをきちんと確認すると、シュトラフは引き金を引いた。直後、銃口から弾丸ではなく蒼色の炎が零れ出た。火の勢いは引き金を強く押すことで増し、橙の揺らめきが周囲を照らし、窓ガラスを熱した。すると砂利を踏み締めるような微かな音が鳴り、ガラスは炎を浴びた箇所を中心にして、ほとんど音も無く割れてしまった。破片も散らばることなく力なく地面に落ちていった。
「んじゃ、入るぞ。ガラス片で怪我しないように気をつけろよ?」
 シュトラフは手袋を着けると、慣れた手つきで窓ガラスの破片を取り払い、室内へと侵入した。
 侵入した部屋はそれなりに広く、壁には高価そうな絵画、床には細かな模様が編まれた絨毯が引いてある。壁際には椅子や机も置かれていた。
「ここは晩餐室か……。お前ら。一階にある金目の物を手分けして探せ。持ち帰れない大きさをしてたら音を立てずにぶっ壊せ。俺とフェイは二階へ向かう」
「了解っす」
 シュトラフは部下達の返事を聞くと、すぐ隣にいたフェイに声を掛けた。
「……二階にはルートヴィヒの部屋があるからな。【慧来具】もそこにあるはずだぜ」
「それを私達が奪って、華麗に利用するわけですね」
「分かってるじゃないか。ただ盗みが終わるまではバレないようにしないとな。だから忍び足だぜ。咳とかくしゃみをするなら今のうちにしとけ」
「ごほっ、ごほっ……。これでもう平気ですね」
 わざとらしく咳をし、純真っぽく翡翠色の瞳を向けるフェイを見て、シュトラフは頭を抱えた。
「ジョークを真に受けるな……。ったく」
 シュトラフは呆れながらも楽しげに笑うと、晩餐室から出た。部屋を出ると豪華な玄関ホールへと繋がった。そこには簡単な応接をするための机や椅子と二階に繋がる階段があり、登ればそこから吹き抜けになった玄関を見下ろすことができる造りとなっていた。
 シュトラフは息を殺し、服の擦れる音さえも出来る限り鳴らさぬようにして一段ずつ階段を上った。
 二階は廊下に4つの扉と、最奥に小さな階段があった。屋根裏に行くためのものだろう。情報どおりであれば屋根裏はメイドの部屋で、4つの部屋にはそれぞれ執事、料理人、そしてルートヴィヒがいる。最後の一つは空き部屋だ。
 シュトラフは少しばかり呼吸を整えると、意を決して扉に手を掛けた。扉の金具の冷たい感覚が伝わると、意識せずとも警戒を強め目を大きく見開いていた。手に少しばかり力を込めて、ゆっくりと扉を押し開いていく。音が出ないように少しずつ動かしていくも、扉の立て付けが悪いのかギギギと不快な音を立ててしまった。
 ――――心臓が高鳴る。
 それは特別大きな音ではなかったが静寂が支配していた中、突如として鳴り響いた音は脳を刺激し、緊張と興奮を生み出した。シュトラフは双眸を大きく見開いて、歪な笑顔を顔に浮かべた。下手をすれば捕まる。してはいけない犯罪行為を行っているという事実を突き付けられたかのような感覚がして、心地よいほどの背徳感が湧き上がる。
 これは決して罪悪感などではない。脳髄を痺れさせるようなこの感覚は生存本能を刺激し、理性を逆なでする不快な快楽だ。落ち着け。深呼吸をしろ。冷静さを無くせばフェイや団員達に危険が回る。
 理性が警告し、シュトラフはその場で足を止めるとゆっくりと鼻から息を吸い、口から吐いていく。喉はからからと乾燥しているものの、鼻から入る空気の冷たさが体を満たすと気が楽になった。
 覚悟を決めて部屋へと足を踏み入れると、眼下に映るのはクローゼットとベッド、机などだ。部屋の主であるルートヴィヒは柔らかく暖かそうなベッドで熟睡している。シュトラフは隣にフェイがいることを確認し、互いに頷き合うと過剰なまでに慎重にクローゼットへと向かった。絨毯は靴音をほぼ無くしてくれるのでこちらとしてはありがたい。……張り詰めた状況のなか、ひとまずクローゼットの傍までたどり着いた。音を鳴らさずに開けてみると、上段には絹が使われた高そうな服がいくつも収納されており、下段にはそれなりに頑丈な金属製の金庫と、美しいまでに光沢を持った鋼色の箱が置かれていた。金庫にはそれなりの貴金属があるに違いない。しかしそれ以上に重要なのは鋼色の箱だ。使用人達が言っていた見たこともない材質の箱とはこれのことだろう。……【慧来具】である可能性が極めて高い。
「……と、とりあえず金庫からだ」
 シュトラフは自分に言い聞かせるように呟いた。そうでもしないと真っ先に【慧来具】に飛びついて、金庫のことを忘れてしまいそうだったからだ。金庫には鍵が掛かっているが関係ない。自身の持つ銃の【慧来具】を握り、慣れた手つきでレバーを倒し振り撃った。
 ――――刹那、銃口から光の弾が射出され、その弾丸は金庫の鍵を音も無く消し飛ばした。銃口から硝煙とはまた違う、煙のようなものが僅かに立ち上がるも、慣れた様子でそれを払い、金庫を開けた。
 中にはルートヴィヒが高利貸し業をして集めたであろう金貨銀貨に宝石が大量に保管されていた。煌びやかに輝く財宝達を見たフェイは小躍りして、やったぜとばかりにハイタッチを要求した。シュトラフは無音でその手に答えた後、鋼色をした未知の金属で造られた重厚な箱に目をやった。普段であれば財宝を見つけたら素直に狂喜しているが、今ばかりは鋼色の箱への好奇心が上回った。
 隣ではフェイが宝石や金貨を詰め込む作業をしている。任せても問題はないだろう。
 シュトラフは注意深く箱を凝視し、なにかがないかと箱を手探っていた。箱は見た目の通り金属質でヒヤリとした冷たさが伝わってくる。僅かな隙間があり、蓋のようなものが被さっていることは分かるが、力で捩り開けようとしてみても、開く気配はない。ゆっくりと弱々しい小動物を撫でるかのように側面を探っていくと指が出っ張りに触れた。どうやらコインが数枚重なった程度の大きさをした突起があるようだった。
 ……恐る恐る触れてみると、少し力を入れれば押せそうな気もした。数秒の間を置いた後、シュトラフはごくりと唾をを呑み、覚悟を決めると、出っ張りを強く押し込める。直後、金属の蓋はゆっくりと開いた。