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 蓋の影が段々とズレて行き中に入っているものが明らかになっていく。なにか銀光りしたものが入っているのが見え、期待が込み上げて行く。しかし、期待は恐怖へと様変わりした。視界を妨げるものが少しずつ退いて行き、シュトラフの視界にハッキリと中に入っているものの一つが捕らえられた。
 ――――それは……美しい白銀の髪を生やした少女の頭部だった。頬は柔らかな幼子のようで、しかし目は死人のように閉じている。あまりにも異質で、ゾワリと背筋が凍り付く感覚がした。だが畳み掛けるかのごとく、箱は少しずつ自らが隠ししまい込んでいたものを露わにしていく。
 頭部の隣には丁寧に腕と脚が並べられていた。雪のようにきめ細かな肌をしていて、すっと細い手は華奢だった。まさかと思い、箱の一番奥を覗いて見るとそこには胴体と腰が置かれていた。それらはすっとしなやかで、やはり白くか弱い肌をしている。……もしこれら全てが繋がっていたら相当美しい少女が出来上がっていただろう。しかしこれは…………。人間の体が……バラバラにされて押し込められている? まさかルートヴィヒは少女を切り刻んで、この箱の【慧来具】に隠していたのか?
 あまりにも猟奇的で予想もしていなかった恐るべき中身に、シュトラフは思わず顔を青ざめて一歩後ろに下がった。しかしそのおかげですぐに我に返ることが出来た。よく見てみると、箱の中に入っていた首や胴体、腕などの断面が生物のものでは無いのだ。気持ち悪いほどに複雑な骨もなければ、ぐじょぐじょと赤く潤う血肉も無い。黒く固まってしまった血の塊もない。見えるのは再現不可能なまでに細密で、なんらかの法則に乗っ取って作られたであろう金属の部品だけだ。
「……人形の【慧来具】か? いったい何をする道具なんだ?」
 惨殺死体ではないにしても不気味なことには変わりない。それでもシュトラフは再び箱に近づくと、恐る恐る少女の頭部を模して作られたその物体に触れた。髪はさらさらとしていて、ほんのりと甘い香りがする。頬に該当する部位は柔らかく……弱った犬猫程度にだが熱が存在していた。ルートヴィヒが触れた温もりでも残っているのか? いや、彼が寝たであろう時から一時間は経過しているからありえない。なら、この熱はなんだ?
 シュトラフは怪訝そうに少女の頭部を持ち上げる。
 そのときだった。閉じていたはずの少女の瞳が不意に大きく見開いたのだ。蒼い眼球が二つ、こちらをジッと凝視し始めたのだ。思わず投げ飛ばしそうになる衝動をなんとか堪えるも、鳥肌が立ち身体は硬直する。しかし目が突然開かれるだけでは飽きたらず、少女の頭部は口を動かし言葉を発した。
「おはようございます。現在時刻は――――不明。インターネットに接続されておりません」
 その声はそこらの詩人や歌人よりも美しく、思わず聞き惚れてしまいそうになったが、今はそれどころではない。静寂だったはずの部屋に少女の凛とした声が響いたのだ。
「ちょ、静かにしろ!!」
 シュトラフは反射的に叱咤したが手遅れであった。ベッドの方から怒気に満ちた視線を感じる。やっちまったと思いつつ淡い期待を込めて顔を向けてみると、ついさきほどまで熟睡していたルートヴィヒが、今ではもう目を完全に覚ましてマスケット銃を構えているのがハッキリと見えた。人間不信なのか、ただ用心深いだけなのかは知らないが、どうやらベッドの下に隠し置いていたらしい。
「やべぇ……バレちまったぜ」
 そんなことを無意識に呟いたが、そこまで慌てることもなかったかもしれない。この男は…………。
「動くんじゃねえ!! 今すぐにでもぶっ殺してやる!! ネズミが調子にのりやがって……!!」
 ルートヴィヒは殺気立って大声を上げた。その声で目を覚ましてしまったのか飛び起きた執事とメイドが慌てて部屋に入ってくると驚愕の眼差しを浮かべた。
「こうなったら仕方ねえな。フェイ、先にこいつの手足とか胴体を運んどいてくれ。【慧来具】が再優先事項だ」
 シュトラフはすぐ隣にいるであろうフェイに命令すると、ルートヴィヒに銃口を向けた。しかし至って落ち着いた様子で口を開いた。
「おい【慧来具】。お前は一体何をする道具なんだ?」
「話すな! そいつはオレのもんだ!」
 怒鳴り付ける声が耳に入るも、頭には入らない。……言葉を話す道具というのは初めて見るものだった。言語は同じ。しかしさきほどインターネットなどとわけの分からない単語を吐き捨てていた。もしかしてインターネットという【慧来具】と同時使用する道具なのか? 会話は成り立つのだろうか。一緒に置かれていた手足を取り付ければ歩けるのだろうか。慢心でしかないが、この状況で脳は未知に対しての知的好奇心しかなかった。返答をしてくれないだろうかと待っていると、数秒の間をおいて、頭部は再び口を開いた。
「私は【慧来具】ではありません。カノン-verβです。ユーザー名を登録してください。及びパスワードを登録してください」
 ユーザー名、パスワード……次々と意味の分からない用語が飛び出ていく。率直に言って意味不明だ。シュトラフは頭を抱えた。銃やちょっとした動作を加えるだけで自動で動くような単純な物ではない。だからルートヴィヒはこの不気味で神秘的な道具を見せびらかすことが出来なかったわけだ。
「カノン……? とりあえずその【慧来具】のパーツは全部持ちました」
 隣からフェイの声が聞こえ、シュトラフは我に返る。今すべきことは未知を解明することではない。【慧来具】と金品を無事に持ち帰ることだ。
「……仕方ない。とんずらするぜ」
「逃がすか! この銃が見えないのか!? この距離ならまぐれで外れることもないぞ! この騒ぎで使用人も来るぞ。諦めて両手を上げろ! お前のその銃の【慧来具】もアドラーさんに高値で売り飛ばしてやる。そこの女は……ぐへへ」
 ルートヴィヒは息を荒らげながら銃を構えた。しかし余裕なのは口だけで、腕や脚が酷く震えていた。彼にとって銃は脅し文句でしかないのが明らかだ。いざというときは撃ち殺すという覚悟が足りないのだ。
 シュトラフはニヤニヤとあざ笑ってやった。
「騒がしい奴だな。いいか? 銃を向けたってことはだな。お前は撃たれる覚悟も出来たってことだな?」
「えっ――――」
 率直に言うなれば、切り抜けた修羅場の数が違った。ルートヴィヒの動作、そして銃を向けられても、やはり躊躇して引き金に指を入れていないという事実にシュトラフはすぐさま気付いていた。だから揺さぶりをかけた。蛇のような双眸を向け、殺してもいいかと問いかけることで相手を脅し返すことにした。
 結果、それだけでルートヴィヒは蛇に睨まれた蛙のごとく硬直した。その隙をみすみす逃す理由なんてこちらにはない。シュトラフは流れるような手つきで引き金を振り絞った。
 刹那、銃口から紫電を帯びた白い光の弾が放たれ、ルートヴィヒが痙攣して床に倒れた。一連の様子を眺めるしか出来なかったメイドと執事が慌てて主人の下に駆け寄っていく。彼らは転職するときに元々仕えていた主人から紹介状を書いてもらう。そこでいい評価を貰うために必死なのだろう。
 ひと段落ついて小さなため息を吐いたあと、シュトラフは執事達が聞き間違えぬよう、ハッキリとした声で伝えた。
「通報は2時間後ならして構わない。そうそう。別に贈賄するわけじゃないが、たった今収穫した金貨を少し分けてやるぜ。もう一度言うが、別に贈賄するわけじゃない。ただ言う事を聞いてくれると嬉しいぜ。一人2枚でいいか。フェイ渡してやってくれ」
「了解です」
「……しかし事を急ぎすぎた。すぐには撃たず一歩ずつ歩み寄って恐怖に引きつった顔を見たかったぜ」
 シュトラフが半分冗談でそんなことを言うと、隣にいたフェイが若干引き気味な様子でぼそりと呟いた。
「趣味悪いですよ」
「それは百も承知だ。……陽動役を用意させたが過ぎた心配だったみたいだな。ではこれより帰還だぜ」
 帰還などと言いながらその後数十分に掛けて金目の物を探し、持てるだけ詰め込んだ。――――窓を割ってから約20分に及ぶ犯行だった。
 盗賊達は正面玄関から堂々と出て、暗く寒い夜の街を颯爽と駆け逃げて行った。屋敷の使用人達がきちんと言うこと聞いてくれたおかげで、誰一人として夜警に追われることなく、無事であった。