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 咄嗟の言葉というものが非情にも浮かばなかった。顔は焦りのあまりに歪み、額からは冷や汗をたらたらと流していた。シュトラフは軽蔑されるに違いないと確信し、どうしようもなく言葉を詰まらせた。しかし部下達の反応は予想外のものだった。
「ヒュー! ヒュー! さすがっすリーダー。僕らはお邪魔なんで第二拠点のほうにいまるっすね! 全てが終わったら来てくれると助かるっす。感想聞かせてくださいっす。ぐへへ」
「いやはや。リーダーはそういうの興味ないと思ってましたがやっぱり男ですな。安心安心! ワッハッハッハ!!」
 部下達は寛大に笑い口笛を吹き少しばかりからかうと、颯爽と部屋を出て行ってしまった。僅か数十秒のうちにほぼ全員が立ち去り、残る部下はフェイだけとなった。
「フェイ……お前なら分かるはずだ。こいつは人間なんかじゃない」
 フェイはカノンのパーツを運搬した張本人だ。発見当初、彼女が服を着ていなかったことも分かっているはずだ。丁寧に説明すれば分かってくれるに違いない。
 シュトラフは不幸中の幸いとばかりにフェイに近づき、事の展開を丁寧に説明しようとした。だが口を開く直前、フェイは噛み付くような眼差しを向け、シュトラフの両肩を強く掴むと激しく揺らした。
「先に拠点に帰ったと思ったらこんなことしてたのですか!? これってその……そういうことをするための【慧来具】だったんですか!?」
「違うって。落ち着けフェイ。お前とんでもないことを口走ってるぞ。俺も最初似たようなこと言ったけどさ! ……カノンは服を着てなかっただろ? だから着せてただけだぜ」
「嘘です! 凄い桃色な空気がしてました! 特にシュトラフさんからです!」
 それは紛れもない事実であった。シュトラフは背後にいるカノンのことを少し見ただけで頬を赤く染めてしまった。せざるおえなかった。カノンはいまだ着替え途中で、はだけた衣服からチラリと見える艶やかな肌が悔しいがそそるのだ。見た目だけは世界一かもしれない。見た目だけは。が、中身は沼の水で作ったスープだ。
「そ、それは……まぁ、多少は意識したさ。でも逆に考えてくれ。全く意識しないなんて不可能だ。そんなことできるのは女に興味がない奴だけだぜ」
「た、確かにそうかもしれません……ですが男と女が深夜から早朝までの長時間二人きりで一つ屋根の下なんて!!」
「その九割を俺は気絶して過ごした。今のこの状況もただ部屋に入ってくるタイミングが最悪だっただけだ。それにこいつは護衛とコミュニケーションを取るためのカラクリだ。確かに色っぽい姿だが、断じてそんなけしからんことをする奴じゃない。多分」
「シュトラフさんの言ってることは本当……ですか?」
 フェイは少し落ち着いた様子でカノンに尋ねた。カノンはそそくさとスカートを履き、エプロンの紐を中央で結び終えると頷いた。
「ええ。そうです。本当です。少しは仲間の言う事を信じてみたらどうです?」
 真摯な眼がフェイを捉えていた。しばし両者にらみ合いをしていたが、やがてフェイが首を横に振り、申し訳なさそうに顔を俯かせた。
「も、申し訳ございません! シュトラフさん。私、酷い勘違いをしてしまいました……」
「ま、まぁそういうときもあるぜ。さっ! 気を取り直していこ――――」
「それにしても素晴らしい想像力です。まさかワタシをアレするための道具だと思いになるなんて……ワタシでは足元にも及びません。そうですね……その素晴らしい頭脳に称号を授けましょう。【桃色娘】なんてどうでしょう。男女間の真面目さを欠く行為をたやすく想像する少女にぴったりです。思春期ですものね。仕方ないことですよ。人間は一年中発情期ですから」
 どうやら怒っていたらしい。カノンはピリピリと肌に障る怒気が篭もった発言を一切噛む事無く言い切ると、嘲笑うかのごとく、したり顔を浮かべた。
「フェイ。大丈夫だ。誰もそんなあだ名で呼んだりしないから」
 シュトラフはすぐにフォローを入れた。恥辱のあまり顔を真っ赤にして唇をぷるぷると震わせ始めたフェイが不安で仕方なかったのだ。
「……しかし、そういった機能が無いワタシに対して、シュトラフ様が欲情されたのも紛れもない事実です」
「おい。なにさらっと訳分からねえことを言ってるんだ。俺はちょーっと見惚れたりしたかもしれないが、お前みたいな口の悪い奴に欲情なんかしねぇぜ」
 シュトラフは冷静にツッコミを入れたがカノンはそれを無視して話を続けた。
「ですがワタシは野獣への対策もバッチリでございますゆえご安心ください。そういった関係を結ぶためのプログラムや機能は初期設定がオフですので、絶対健全でございます。純潔なる白の中にワタシはいるわけです」
「…………本当に何もしてない?」
「しておりません。しいていうならば投げ飛ばして気絶させただけです」
 投げ飛ばしたことに一応の謝罪を入れていたが、こいつ反省していないんじゃないだろうか。そう思えてしまうくらいカノンが誇らしげにドヤ顔を浮かべているように見えた。
「とにかくだ! 俺にはプライドがあるんだ。こんな口調だけは丁寧な捻くれ屋に対して、フェイが想像してるようなあんなことやそんなことは一切していない。これは紛れもない事実だぜ……とだけ言っておく」
「私はそんなことっ……!! 少ししか想像してません! だって状況が状況じゃないですか! とにかく駄目です。そういうのはもっとなんかこう……あ、あるじゃないですか…………」
 フェイは脚をもじもじともどかしそうに動かすと、段々と声の強さは小さく、最後にはあまりにも女々しくなってしまった。そこに追撃を掛けるかのごとくカノンは尋ねた。
「フェイ様。もっとなんかこう……とはなんでしょうか? 現在ワタシには情報が不足しております。参考にしたいので具体的に説明してくださると助かります。お願いです。もっとなんかこう……の説明をしてください」
「えっとそれはその…………手を繋ぐとか? あとは二人きりで食事をしたり、秘密を共有したり、関係性を深めてからですね……」
「その程度のことをしただけでフェイ様のいうあんなことやそんなことをしてもよい状態になるのですか? 素晴らしいですね」
「…………説明してって言われたからしただけです! し、尻軽なんかじゃないです! シュトラフさん? 私は尻軽なんかじゃないですからね。ちゃんと生涯一人のみに全てを捧げますからね?」
 凄まじい気迫だった。よっぽど勘違いされたくないのだろう。シュトラフは尻込みしながら何度も首を縦に振った。
「じゃ、じゃあ私も第二拠点の方で待ってますね。説明してからだったらシュトラフさんがからかわれることもないでしょうし」
「ありがとう。助かるぜ。まだ寒いからあんまり走ると冷えるから気をつけろよ?」
「分かってますよ。子供じゃないんですから。ではシュトラフさんは10分ぐらい経過したら第二拠点に向かってください。その頃には説明もし終わりますので」
 フェイはペコリと一礼すると部屋を出て行った。まだ早朝で体の芯から凍らせるような冷たい空気が満ちていたが、そんなことお構いなしに今さきほどまでいた建物から逃げるように走った。白い息を吐きながら、視界から建物が消えたことを確認すると、フェイは一人呟いた。
「良かった。でも嫌な予感がする……本当に何も無かったのかなぁ。あの子凄い可愛いし。……はぁ」