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 シュトラフとカノンは言われた通り10分経過してから、皆のいる第二拠点へと向かっていた。
 朝日は白い輝きをもって夜の戸張を薄め、建物からは黒パンを焼き直す香りがした。それらはこの街の一日を知らせる大切な日常の出来事だ。ただ、朝というのは夜とはまた違う清々しい寒さをもっており、体の先が冷えてしまう。
「……この季節は朝が寒いからな。ほら、こっちだ」
 シュトラフはすっと手を伸ばしていたが、カノンはまるで最初から予知していたかのように、すらりと優雅にその手を避けた。
「いくらワタシが魅力的だからといって、そうやってアプローチを掛けられても困ります」
「なーにが魅力的だ。もっと淑女らしさを身につけてからそういう自信過剰な発言をするんだな。見た目が少し可愛いからって俺は釣られないぜ」
 すると突然、カノンは白銀の髪をふわりと広げながらシュトラフの正面に立ち向かい合い、躊躇なく顔を近づけた。何かを見据えようとする蒼くつぶらな瞳が文字通り目と鼻の先にまで近づいてくる。……カノンは自分が可愛いということを自覚しているらしい。卑怯だ。
 なんとかして平静を装い、この睨み合いに勝利してやろうと思ったが、無理だった。直視できなくなるほど心臓は高鳴ってしまった。心音が外にまで響いているのではと不安になってしまうほどだ。ついさきほど釣られないと断言したにも関わらず、耐え難い恥ずかしさに襲われてしまい、堪えるべく伏し目になった。
 その様子を見届けたカノンは小さな口をゆっくりと開いた。
「チョロイですね。やはり釣れるではありませんか。この勝負、ワタシの勝ちです」
「……分かったよ。俺はカノンに見惚れましたー! はい、これでいいんだろ? この話はもう終わりだぜ」
 シュトラフは素直……というより清々しいくらいに開き直って負けを認めると、さっさと目的地に着くために足を早めた。
「おや、分かってくれましたか? 確かにワタシは人間に使われる道具です。しかし生意気かもしれませんが人間風情に格下と思われたくないのです。いつでもワタシは人間よりも上に立てます。力でも精神面でも」
 もはやコンプレックスになってるんじゃないかと疑いそうになるくらい、カノンは力強い声でそう断言した。シュトラフは若干引き気味になって曖昧な返事を返した。
「は、はぁ……。そりゃ凄いな」
 するとカノンは強気な雰囲気を漂わせ、さっきは優雅に避けたくせに何を思ったのかシュトラフの手をすっと握り締めた。その手は想像以上に暖かく、柔らかだ。
「……何のつもりだ」
「飴と鞭の飴です。ワタシが手を握ってあげてるのです。嬉しいですよね?」
「…………。ほら、もう目的地着くぞ」
「モテない男性の典型例みたいな行動をなさりますね。ところでどうしていくつも拠点があるのですか? と、いうよりいくつあるのですか?」
「仲間の数だけあるな。隠れたり、その日襲撃する豪邸の近くで待機するためにいくつもある。後で街の経路や拠点とかをカノンにも教えてやる。好き嫌いは置いておいて、お前は俺達の秘密を知った仲間だからな」
 シュトラフはぽんとカノンの頭に手を置いた。が、一秒足らずで振り払われる。
「気安く触らないでください」
「さっきは手を握ってくれたじゃないか」
「過去を掘り返すのは器の小さい男がやることです。モテない男の典型れ――――」
「あーはいはい俺は器が小さい器が小さい……」
 シュトラフは呪文のように器が小さいを連呼しながら扉を開けた。立て付けの悪い不快な音がギギギと響くと、音で気付いた部下達は皆して駆け寄り、二人を囲むと口々に思ったことを述べ出した。
「いやー。てっきりリーダーもようやく大人の階段上ったかと思いましたがそんなこと無かったみたいっすね。いえーい仲間!」
「いやはや。我々の勘違いだったみたいですなぁ。ワッハッハッハッハッ!! 無事……ではないようですが修羅場を乗り越えたようでなによりですぞ」
「ほら! どいてください! あんまり群がると邪魔ですよ」
 フェイは健気な声を発し、人ごみを割ってシュトラフの正面まで移動すると、申し訳なさそうに顔を俯かせた。
「ごめんなさい、シュトラフさん。一応説明はしたのですがカノンさんが【慧来具】だということが半信半疑なようでシュトラフさんから直接説明してくださると幸いです」
「おう。了解した。任せてくれ」
「では入り口でたむろうのも少し苦しいので少し移動しましょう」
 フェイはふてくされて、シュトラフのことを見ようとはしなかったものの、その小さな手を伸ばし、こちらの手首を優しく握ると隣の部屋まで移動した。部下達がその動作を見て小さな口笛を吹いたが、その理由はシュトラフには分からなかった。
「なんだよいきなり……。まぁいい。みんな聞いてくれ。こいつは見た目だけなら可愛らしい顔で珍しい白銀の髪をもった少女だがその正体は人間じゃない。言葉を話し、不器用な感情をもった【慧来具】の一種だ。名前はカノンだ」
 言葉を話す人ならざるもの。他の【慧来具】ともどこか線を越えたイレギュラーさに加え、人間でないことを証明する関節部分も服でほとんど隠れているため一見すると人間にしか見えないのだ。……シッポは見えているはずなのだが、どうやら関係ないらしい。部下達は信じようとはせず、冗談だろとばかりに馬鹿笑いした。
 シュトラフはその様子を見てニンマリと笑った。
「ははっ。見ろよカノン。皆信じないぜ。いっそ人間の新入りとして入団するのはどうだ?」
「却下です。信じないのであれば信じさせればいいのです。簡単です」
 カノンは淡々とした様子でそう断言すると両手で頭を掴んだ。そしてゆっくりと首を回し、人間が動かせる限界まで回すと、金属が摩擦するような異常な音を響き、カノンの頭部は180度回転してしまった。つまりは顔が背中側にまで移動したのだ。
 部下達は驚きを隠せず、恐怖の表情のまま凍り付いた。すでに分離した姿を見ていたフェイもその顔を引き攣らせ、忌々しげにぼやいた。
「……何もしなければ可愛いんだけどな」
「回転させるだけではございません。もちろん取り外し可能でございます」
 カノンは微笑を浮かべると、頭を真上に持ち上げた。キュポ! と小さな音が鳴るとその頭部は胴体部分からたやすく離れてしまった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああ!!」
 部下達はあまりにも異常な光景を目にし、涙目になって叫び声を上げた。一部のみっともない奴らは腰を抜かしてしまったようで、その場にへたり込んでいた。シュトラフは改めて少し驚かされたが腰を抜かしたりなどはせず、ただ呆れてため息をついた。
「はぁ……。カノン、お前楽しんでるだろ」
「いえ、ワタシはただ機能をお見せしているように過ぎません」
「まぁでもこれで全員信じてくれたはずだぜ。頭を戻してやってくれ」
「……本体バッテリーと接続し、ようやく各パーツに充電が完了したところです。更なる機能をお見せ致しましょう。……分離や力が強いというのはワタシに搭載された機能の5%にも至りません」
 カノンが愉快そうに分離した自身の頭を指で転がし、怯える奴らを見下していると、フェイは怯えを押し殺し気丈に振る舞い、カノンに挑発的な眼差しを向けた。
「脳ある鷹は爪を隠すものですよ。それとも……もしかして機能を自慢したいんですか? 子供ですね」
「……何が言いたいのですか? 桃色娘さん」
 あぁ、フェイも怒っているのか。普段はこんな挑発はしない。
「別に何か文句があるわけじゃありませんよ。ただ見ているとですね。小さなリスが威嚇するために二足歩行をしているような、そんな愛嬌がありますと言いたいだけです」
 言われてみると確かにそうだ。頭を分離し威嚇して、満足げにドヤ顔を浮かべているその様子は、落ち着いて見ると小動物的可愛らしさがあるような……気もした。少なくともシッポは子猫みたいに揺れていた。
「フハハ! いい例えだぜ。確かに小動物の威嚇行動というか、幼い感じがして俺は嫌いじゃないぞ。あ、もしかして本当に威嚇だったりする? 怖かったら言ってもいいぜ。お願いしたら気を紛らわすナイスジョークとか優しいハグをやらないこともないぜ」
 シュトラフは邪悪な笑顔を浮かべると、今がチャンスとばかりに煽り、嘲笑った。投げ飛ばされたことなど全く気にしていない。
「もういいです。戻します。別に怖かったわけではありません。それだけは理解してください」
 カノンは恥ずかしそうに踵を返し、無言で頭を胴体に繋げ始めた。カチカチと石をぶつけ合うような軽快な音が響くと完全に接続できたらしく、再びシュトラフ達の方を向くも、生娘のようにはにかんで視線を逸らした。
「ワタシはたった今、恥辱を受けました」
「恥ずかしいだなんて低俗な感情は捨てたんじゃなかったのか?」
 シュトラフが依然煽り立てると、カノンは頬をひくつかせ、口角を鋭くした。
「黙りなさい。そうやって揚げ足取りをするのは止めてください。とりあえずフェイさんには特別に、ワタシの機能をゼロ距離で味わせてあげましょう」
「なんで私なんですか!?」
「気に食わなかったからです。では行きます。カウントダウンしますね……3、2、ドン」
 カウントダウンと言いながらもその機能は1が来る前に見せられた。腕のパーツの一部……左腕の肘から先が突如として地面に落ちたのだ。それだけでもやはり部下達は尻込みし、フェイは肩を震わせた。そして、――――しばしの静寂。地面に落ちた腕を全員で凝視する奇妙な空間が生まれる。
「……これだけ?」
 腕をじっと睨んでいたフェイが、恐る恐る疑問を呈した直後、腕は五本の指によっていびつに立ち上がり想像を絶する速度で蛇行し始めた。鼠のように小刻みに、そして素早く移動する腕は頭部が分離したとき以上の悲鳴を生み出した。こればかりは目を伏せて、見なければよかったとシュトラフは後悔した。容姿は惚れ惚れしてしまうほどなのになんでこんな機能を付けてしまったのだ。もったいない。
「……本当に恐ろしい機能だ」
「まだまだです。ここからが序章でございます」
 もう充分過ぎるほど人ならざる証拠を見せ付けていたのだが、カノンはこれだけで満足などしなかった。腕は床だけではなく壁をも走り、人ほどの高さまで上がると宙を跳んだのだ。そして空中で器用に回転すると手のひらを広げ、フェイの肩を掴んだ。
「嫌! ごめんなさい! ごめんなさい! 離してください! んあッ、くすぐっ……たい!」
「おや? 何を謝っているのですか?」
 カノンは抑揚のない声で尋ねた。腕を止める気はまだ無いようで、分離した左腕がフェイの肩から首回りを指を使って蜘蛛のように移動していた。
「小動物みたいって馬鹿にしたことを謝ります! お願いです止めてください!! ふぅぅ……ン!」
「後三分経過したら止め……るかもしれません――――」
「やめんかい」
 カノンが小悪魔的笑顔を浮かべながら腕を妖しく動かすのを止めるべく、シュトラフはカノンの頭に軽いチョップを当てた。
「痛っ……くはないですね。シュトラフ様。突然叩くなんて酷いのではありませんか? 精密機械を叩くなんてもってのほかです。要約すると、いきなり何をするんですか」
「嫌がってるだろ。止めてやれ。やりすぎだぜ」
 ――――分離していた腕がピタリと停止した。
 カノンはまじまじと涙目のフェイを見詰め、やりすぎたと理解したのか小さく頭を下げると、フェイの肩を掴む腕を自らに再度接続した。
「確かにやりすぎましたね。ご忠告感謝致します。フェイ様、ご無礼をお許しくださいまし」
「い、いいですよ。気にしてないです」
「素直に謝る機能があったんだな」
「シュトラフ様は人を馬鹿にするのがお上手でございます……ねっ!!」
 直後、カノンはシュトラフに急接近し、素早い拳を放った。小さな握り拳は隙だらけの腹部へ直撃。衝撃と鋭い痛みが内臓を走り抜ける。シュトラフは身悶えるとその場にうずくまり、うめき声を上げた。
「う、うごぁぁ……!!」
「今度は前回と違い、加減をしましたのでそんなに苦しいはずがないのですが」
 カノンが抑揚のない声で説明するも、シュトラフは床に突っ伏したまま腹を抱えて沈黙してしまっている。
「シュトラフ様? 大丈夫でございますか?」
 返事はない。まるで屍のように声も出さず、反応さえ示さない。カノンはしばし声を掛けて応答を求めるだけであったが、とうとう心配になったのか、木の床に膝を着いて微動だにしないシュトラフの背中を優しく揺らした。
「シュトラフ様? もしやワタシは力の調整を誤っておりましたか? もしそうであれば今すぐに安静にする必要があるので腹部を圧迫せずに――――」
 とうとうカノンは本気で慌てて、シュトラフを仰向けにするべく腹部へ手を伸ばした。次の瞬間、シュトラフは機敏な動きで、すらりとその場に立ち上がった。
「フハッハッハ!! 騙されたな。悪いが痛がってたのは演技だぜ。まぁ殴られた瞬間は本気で痛かったけどな」
 我ながら迫真の演技だ。何事もなく立ち上がった見せると、カノンはそのことが予想外だったらしく驚いて尻餅を着き、不意を突かれた様子でこちらを見上げていた。きょとんとした表情や、しおらしく内股に座り込む様子が可愛らしいのだが、言動は相変わらずであった。
「演技がお上手ですね。まるで死んだふりをする虫のようです。……もう絶対心配しません」
「心配するくらいなら最初から殴らなきゃいいんだぜ? けれど生意気で反感的なくせに、あんな心配してくれるとはなぁ……実は俺に惚れてたりする?」
 シュトラフは下衆な笑みを浮かべながらも手を差し伸べた。しかしカノンはその手を虫でも払うかのようにあしらい、自力で立ち上がると、心底不愉快そうに淡々と口を開いた。
「躊躇なく殴り飛ばすべきでした」
「フハッハッハ! なんとでも言え。これで一勝一敗だ。……本題に戻ろう。もう信じてくれたと思うが彼女は人間ではない。生意気で口の悪い【慧来具】だ。けれど悪党じゃないから怪我をすれば心配してくれるだろうし、共に時を過ごせばそれなりにマシな奴になると俺は思う。俺は彼女を正式に、盗賊の一員として向かい入れたい! 悔しいがこいつは俺を片手で投げ飛ばせるくらいの力もある。きっと役に立つはずだ」
「ワタシの意思は尊重されないのですか?」
「ぶっちゃけ敵に回られると困るから拒否権はない」
「……そうですか。ならばワタシは構いません。最終決定権はワタシにはございませんので、皆様が歓迎するならば甘んじて受け入れましょう」
 腰を抜かしていた部下達はその発言を聞くなり、大喜びしてカノンに近づいた。
「大歓迎っすよ! 頭をはずした状態で貴族の前に置いとけばそれだけであいつら小便ちびるんじゃないすか? 始めてみたっすよ。喋る【慧来具】なんて! しかも可愛い!」
「ワッハッハッハッハッ!! 我々は暑苦しい野郎が多いですからなぁ。可愛い子が入ってくれるのは大歓迎ですぞ。それに認めないとリーダーに怒られそうですからな」
 なぜ怒られると思ったのだろうか。部下達に変な誤解をされている気がして、シュトラフの心に不安の影が射した。……入団を勧めといて難だが、行動の選択を見誤ったかもしれない。カノンの華奢な腕に秘められた力と、まだ見せていないであろう機能は役に立つだろう。しかし隙あらば人をおとしめるに違いない。そう思うと不思議と肩に重荷がのしかかるような感覚がした。
「失礼ですね。人を勧めておいて本人は溜め息ですか」
「すまんすまん。これから気苦労が多くなりそうな気がしてな」
「今からでも捨てて構いませんよ。そうであればもっと良い持ち主を探しますので。盗賊ではなくゲートキーパーにでもなりましょうかね」
 カノンの表情は言葉にしがたいもので、入団を望んでいるのか否なのか判断しかねるものだった。
「俺ら以外に捻くれた少女を雇ってくれるところがあるといいな」
「……癪に障ります。また投げ飛ばしてもよろしいでしょうか?」
 カノンが不快そうに歯軋りをし、眉間にしわを寄せた。
 この態度が治らない限り、他で仕事をするのは無理だろう。しかし誰よりも素直で分かりやすい。まぁ素直だからこそ発言の一つ一つに悪意が篭っていて腹立たしいわけだが。……それでも今、この瞬間カノンは無法者の仲間入りをするわけだ。
 シュトラフはニヤリと正直な笑顔を浮かべすっと手を伸ばした。
「投げ飛ばすなよ? この手はいやらしいものでもジョークでもねぇ。これは盗賊頭のシュトラフ・トリスタンの手だ。改めてこれからよろしく頼むぜ」
「はぁ……。まぁ、構いませんが」
 カノンは仕方ないですね、と言った具合にため息を付きながらもその手をしっかりと握った。やはりその少女の手は柔らかく、真面目に取り繕っても心臓が高鳴ってしまうほど魅力的だった。