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 朽木の意見で俺たち三人は近くの喫茶店に入り席に着くと、朽木はすぐにモンブランを注文していた。
 俺はストレートティーを頼み、まだ注文をしていない瞳はメニューを見ないで、「私も巽と同じでいいわ」と頼んだ。
 注文が終わり店員が去っていくのを見てから、
「おかしいわよね」
 また不機嫌な態度になっている瞳が言った。
 特に疑問も持たない俺は言葉の続きを待っていると、朽木が聞いた。
「何がですか?」
「この状況よ」
 朽木は首をかしげる。
「あんたさっき、なんて言った?」
「なんて?」
 なんのことを言っているか分からないのか朽木は困ったような顔でいる。
「デート中ですかって聞いてきたのよね」
「そうですけど」
「じゃあ、どうしてあんたがいるのよ!」
 瞳は朽木を指差し大きな声を張り上げた。
「あ、あのお客様、もう少しお静かに……」
 声に気づいたのか店員がやってきて困り顔で瞳にそう言った。
「す、すみません」
 縮こまりながら瞳が謝っていると、続けて違う店員がやってきてモンブランとアイスティーを持ってきた。
 モンブランを受け取った朽木は子供のように目を輝かせている。
「いただきます」
 律儀にそう言ってからモンブランを食べる朽木をよそに、俺もカップに口をつけた。
 同じアイスティーを頼んだ瞳はガムシロップを混ぜながら、
「はぁ」
 と明らかに落ち込んでいた様子でいる。
「なあ、瞳」
「何よ」
「ありがとな」
 そう言うと、瞳は目を丸くした。
「昼休みに瞳が来てくれてなかったら、あのまま先生の事ずっと引きずってたと思う」
 真剣な表情で俺の話を聞く瞳を見て話を続ける。こういう時茶化したりしてこないのが瞳のいいところだ。
「声も仕草も演奏も、あの人への気持ちも思い出してさ、頭の中神崎先生で一杯になったよ」
「思い出してたんだ」
「俺が好きって気持ち出さずにいたのに、それにしたって教室で言う必要なかっただろ」
「だって思いっきり引きずってますって顔なのになんとも思ってないなんて言い出すから、なんだかイライラしちゃったのよ」  
 でも、一つ引っかかる事があった。あの昼休みに俺が先生の名前を出した時、どうして瞳の顔が強張ったのだろう。
 その事を瞳に聞いてみると、 
「あー、私あの人苦手なの、だから中学に上がる時に教室辞めたわ」
「そうなのか??」
 ずっと通い続けているものだとばかり思っていたから驚いた。
「もったいないだろ、プロ直々に指導してもらえるこの県唯一の教室なのに」
 そう、神崎先生は全国的に有名なプロピアニストだ。だからか、そのピアノ教室に通いたいという生徒が他の県からも来るというほど人気もある。
 俺は小学一年から、瞳は幼稚園生の時から神崎先生の教室に通っていた。
「いいのよ別に」
「じゃあ今は?」
「独学でなんとかね、さすがに他の教室に通おうとは思わないし」
 独学といえば、瞳の隣に座る朽木もそうだったな。
「あの、話長くなるならもう一品頼んでもいいですか?」
 さっきまで会話に入ってこなかったが、俺の視線に気づき朽木はメニューを開いた。
「太るわよ」
 その言葉に朽木はメニューを閉じようとするが、すかさず瞳は、
「あ、このパフェ美味しそうね」
「本当です! すみませーん」
「太っちゃうわよ?」
「……やっぱりやめます」
「嘘よ、食べたら?」
 そう瞳が言うものの、残念そうに朽木は首を横に振った。
「お小遣いも、もうあまりないですから」
「俺が奢るよ」
 以前父からもらったお金があることを思い出した。財布に入れっぱなしだったので、まだ数千円入っていた。
「でも、悪いですよ」
「もともと奢るつもりでいたから気にすんな」
「じゃ、じゃあこの、パフェで」
「瞳は?」
 もちろん、瞳にも奢ろうと思ったが、
「また今度にするわ、その時奢ってもらおうかしら?」
「じゃあ今度な」
「約束よ?」
 俺は頷く。同時に朽木は注文を済ましていた。
 それを見てから瞳が朽木に聞いた。
「そういえば、あんたコンクールには出るの?」
「出ますよ」
「まあ、あの実力じゃ出ても仕方ないかもしれないけど」
「そんな事、ない……と思いますけど」
 朽木は不安そうにこちらを見てくる。
 当たり前だけど、コンクールには小さい頃からピアノをやってる奴が何人も出る。何年もしっかりとした先生に習いながら弾いてきた人たちばかりだ。
 そう比べると、あと二週間程度しか練習できない朽木に本選出場は厳しい。
 出れる可能性があるとしたら、これからの朽木と、俺の教え次第だ。 
「えっと、瞳先輩でいいですか? 苗字知らないので」
「いいわよ、私はあんたの事、あんた、って呼び続けるけどね」
「まあいいですけど。それで、瞳先輩もコンクールに出るんですか?」
「国際コンクールでしょ? 私は毎年出てるわよ、去年は海外のコンクールに呼ばれたから出てないけど」
 それを聞いた朽木は目を見開き顔を突き出した。
「ええ?? そんな、海外に呼ばれるほどの人が出たら勝ち目ないじゃないですか??」
「お前は本選に出られればいいんだろう?」
 そう朽木に言うと、すぐに瞳が反応してきた。
「本選に出たいの?」
「どうせ、私には無理ですよ」
 そう問う瞳に朽木はいじけたように言った。そこで店員がやってきて、いちごが多く乗ったパフェが運ばれてきた。
「そんな事言ってないでしょ」
 瞳はそう言うが、朽木は口先を尖らせながら目を細める。
「さっき笑われるって言ってましたよ」
「あら? そうだったかしら?」
「そうです」
 笑いながらごまかす瞳をよそに、朽木はパフェに入っているウエハースをアイスに付けて食べ始めた。
 それを瞳は羨ましそうに横目で見ている。
「すごいボリューミーなパフェね、こんな大きさ他所にはないわよ」
 それを聞いて伝票を手に取った。
 いちごパフェの文字の横には千二百円と記されてある。あまりパフェなどは食べに行かないので相場は分からないが、モンブランよりは高い。
 ようやくウエハース三本を食べ終わった朽木はスプーンを取った。
「一口あげます、あーん」
「あーん」
瞳の視線に気づいたのか、朽木はアイスとイチゴをスプーンに乗せて瞳の口に運んだ。
いつの間にか仲良くなってる二人はまるで姉妹のようだった。
「たまには甘いのもいいわね」
 そう言うが新たに頼む事はなく、朽木の食べている姿を見ているだけだった。
「なんだか、上品に見えるわね」
「なにがだ?」
 唐突にそんなことを言う瞳に、なんの事を言っているのか分からず聞くと、
「ん? いや、パフェを食べてるこの子がね」
 言われて朽木の食べる様子を見る。
 だが、普通に食べているようで、よく分からなかった。
「ほら、パフェだって綺麗に食べてるじゃない? スプーンの持ち方もなんだか綺麗に見えるし」
 うーん、瞳には分かるのかもしれないが、俺には分からない。
「あまり見られてると食べにくいんですけど」
 俺たちの視線に気づき朽木がスプーンを止めると、そのままグラスに置いた。
「あんた、全然食べ進んでないじゃない」 
「実はお腹がいっぱいで」
「まあモンブランも食ってるし、朽木は元々少食だしな」
 瞳は自分の所へパフェを持ってきて食べ始めた。
 さっきまでバランスよく減っていたパフェだったが、瞳は豪快に奥までスプーンを入れる。
 それを見て、先ほど瞳が言っていた上品の意味がわかった。
 朽木の食べ方に比べて瞳は下品って事だな。
「さっきの話さ」
 瞳は一度食べるのを止め、スプーンで朽木を指した。
「意地悪で言ったんじゃないのよ? 前あんたの演奏聴いたから言えるけど、あのままじゃ予選も通れないわね」
「予選も、ですか」
「自分で言うのもあれなんだけど、私くらい上手い人他にもいるよ? 私だって本選に出れるか分からないし」
 瞳の言葉は俺を焦せらせる。たぶん、朽木もそうだろう。
 言う事が本当だったら予選すら危い。
 朽木は俺の教えを理解してしっかり弾いているから、もう後は時間との問題だ。
「先輩も、やっぱり不安ですか?」
「不安だけど、これから次第だろ。俺も努力するし、朽木も努力するだろ?」
「……はい」
「なら、なんとかなる、大丈夫だ」
 朽木が不安にならないように言ってはみたものの、曇った顔は晴れなかった。
 そんな俺たちを他所にパフェを食べていた瞳が不思議そうに聞いてくる。
「巽が努力するって、何?」
「言ってなかったか? 俺が朽木にピアノ教えてるんだよ」
 そう言うと、瞳はスプーンを持ったまま固まった。 
「え、え? あ……、ええ?」
「ど、どうしたんだ?」
 急にしどろもどろな瞳に戸惑う。
 俺が教えてる事がそれほど意外だったかな。
「何てことなの、音楽室で二人きり、手取り足取り教える巽」
 瞳はぶつぶつと呟き始めた。
「そうじゃなくて!」
 と思ったら、急に声を上げる。
「静かにしろよ、さっき店員に注意されただろ」
 瞳は口に一度手を当ててから、今度は小さい声で聞いてくる。
「そ、それはいつから?」
「一週間前くらいでしょうか」
 俺が答える前に朽木が言うと、
「一週間前……、そっか」
 何かを理解した瞳はパフェに再度スプーンをつける。
「そっかそっか」
 そしてパフェを勢いで食べ終えた瞳は鞄を持って立ち上がった。
「私、帰るね」
 急に言いだす瞳は財布を取り出してアイスティーのお代を机に置いた。 
「あんたに負けないからね」
 朽木を一瞥してから瞳は喫茶店から出て行った。
「瞳先輩どうしたんでしょう」
「いや、本当にどうしたんだ、あいつ」
 瞳の話を聴いていたため飲む機会がなかった緩いアイスティーを飲み終え、俺たちも喫茶店を出た。
 外は少し暗くなってきている。
「本当は今日みたいに音楽室を使えない日も練習しないとですよね」
 瞳の話を聞いたからかそう言ってくる。
 やはり焦りを感じたのだろう、なんとかして毎日少しでも練習しないと本当に間に合わない。
 そうなると、学校以外で練習できる場所を探す事になる。
「何か学校以外でピアノ弾ける場所ないか?」
 とりあえず聞いてみる。
「えっと、近くの文化ホールですかね」
「借りれるわけないだろ、借りるにしたって金がかかる」
 朽木は納得してから再び考え始める。 
 俺も一緒になり考えるが、そう簡単には思いつかなかった。
 そういや、俺ってどこで練習してたかな。
 一番多かったのはやっぱりピアノ教室だけど、却下だ。今の俺が神崎先生に「ピアノ貸してくれませんか?」なんて言えるわけがない。
 すぐに次の練習場所を思い浮かべる。
「うーん、どこでしょうか」
 ふと朽木を見た時、ある場所で弾いていたことを思い出した。
「そうだ、あそこだ」